近々、小矢部市にある「大谷博物館」に取材に行きます。
大谷博物館は、小矢部出身の実業家・大谷米太郎氏と大谷竹次郎氏の生家です。正しくは、生家があった場所に米太郎氏が母親のために建て替えた家で、それは立派なアズマダチです。
小矢部の名士・大谷米太郎氏。実業家としての功績はもちろんですが、そのエピソードもかなり桁が違います。
大谷家の長男であった米太郎さんは、尋常小学校時代には学校にほとんど行かず百姓奉公と酒屋奉公をして家計を助けていたそう。そんな米太郎さんは、31歳の時に貧乏から抜け出すために母親の作った握り飯と20銭あまりのお金を手に汽車に乗って上京。日雇い労働で苦労しながらお金を貯めますが、なんと相撲取りとして活躍した時代もあり(30歳過ぎで!)十両入り目前だったとのこと。怪我で相撲を引退した後は、鉄鋼のロール工場を始めますが、不運にも関東大震災で工場は焼失。しかし、めげずに飲食店、雑貨店、工場再建と突き進み、大谷重工業の創業につながるという、まるでドラマのような人生です。ちなみに子供時代に学校に通えなかった経験は教育への熱い思いに繋がり、実業家として成功したのちには、地元の小学校や中学校へ多額の寄付をされたのだとか・・メルヘン建築を代表する大谷中学校もその名前は大谷氏からきていると聞きました。それから小矢部市役所も米太郎さんの寄付で建設され、役所前には翁を讃える立派な銅像があります。近代日本を代表する彫塑家「東洋のロダン」と呼ばれた朝倉文夫作の!!!!!きっと銅像だけで数千万レベル。。。
働くこと=お金を作ること。お金を持つことは自分に力をつけることで、社会的信用にもなる。もちろん、ただ金を稼ぐだけでなく苦労してお金を稼ぐことでいろんな物事を見たり、考えることにつながると。
米太郎さんの言葉は、今の時代にはない生々しい「生きる力」があります。
ちなみに「大谷博物館」のわたし的な見所はお風呂場にあるボイラーです。能率(現ノーリツ)の。
ぜひ一度お出かけください。
【吉】